15 最初の鉄道

多方に伸びた線路の様子から、新しくできた駅がいかに市の経済にとって重要だったかが伺えます。しかし、わずか19年後の1876年に駅は移設されます。線路のあった場所には、市庁舎通り(Rathausstraße)と遊歩道通り(Promenadestraße、現在のプリンツレゲンテン通り)ができ、通りの両側に木を植えるのに十分なスペースが残りました。この植樹を契機に、1872年には観光促進と大通りのさらなる植樹を目指した「美化協会」が設立され、  ヴィッテルスバッハー通り(Wittelsbacherstraße)、エーバースベルガー通り(Ebersberger Straße)、ハウシュテッター通り(Haustätter Straße、現在のハイリヒ・ガイスト通り)、イン通り(Innstraße)、バーンホフ通り(Bahnhofstraße)の緑化が行われました。写真手前の「泥炭運搬車」が、製塩所や蒸気機関車に燃料の泥炭を供給していました。

現在地住所:市庁舎通り30(Rathausstraße 30)